2016年 05月 02日
【 母が生きる為に選択したこと 】
ベトナム戦争の真っ只中
サイゴン市内(現・ホーチミン)で
生まれました。
もはや戦争は泥沼化した中、
母は生き抜く選択をしました。
それは、父のいる日本に
逃げるという命の選択です。
当時、外交官だった母はいち早く
南ベトナムが負けるという情報を
耳にしておりました。
そして、
まだ1歳になったばかりの私を連れ
チャーター機に乗って羽田入り。
41年前のサイゴン陥落を迎える
一週間前の出来事です。
もし、サイゴン陥落後だとしたら
今の私は無かったと思います。
そして。
こちらの地図は
Nina Stone Clinic の壁紙の一部。
ハーフとして生まれた私は
昔から日本とベトナムの地形が
角度を変えれば
よく似てるなぁと子どもの頃から
密かに感じていました。
…ただし、一部を抜いてですが。
私の母は南国より北国へ
当時としては最も安全な場所へと
逃げ延びました。
石の能力に四年前より目覚めた私。
地球は石の塊とも感じます。
日本とベトナムのハーフ。
南国より北国へ逃亡。
本能的に感じたものを
大切に
どうかどうか生き抜いていってください。