【 日本とスリランカの深い関係 】

今日は33年ぶりにスリランカ料理を美味しく頂きました。
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父の仕事の関係でスリランカ・モラトゥワにて半年ほど過ごした幼少期。
ちょうど80年代前半期は民族紛争が幾度となく繰り広げれた時代でもありました。

民族紛争やテロが起きると決まって日本領事館より連絡網が入り、当時通っていた日本人学校もその時には休校。
今となっては貴重な体験をしたと感じております。


さて、話は変わりますが。


皆さんは『 日本分割占領案 』という言葉を一度でも耳にされたことがあるでしょうか?

大東亜戦争敗戦後の1951年サンフランシスコ講和会議において戦勝国である連合軍( アメリカ・イギリス・ソ連・中国 )は、日本に対して厳しい賠償と制裁措置を求めました。
そして、こちらの連合軍によって作られた「日本分割占領案」により、日本は4地域に分割される予定でした。

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ソ連(赤)  :北海道/東北
アメリカ(青):関東/中部/関西/沖縄
中国(茶)  :四国
イギリス(緑):中国(地方)/九州

米英中ソ   :東京
米中     :大阪


そこに対して当時のスリランカ(セイロン)大統領・ジャヤワルダナ氏は、
「戦争に負けた日本にもう一度チャンスを与えるべき」
「憎しみは何も生み出さない」
と戦勝国に対しスピーチを行いました。

実はこのスピーチでことの全ての方向性が大きく変わったとされております。
この深い慈愛に満ち溢れた大統領のスピーチが当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていた諸外国代表の心を打ち、戦勝国は日本占領に対する考えを変え、日本は分割されずに済んだのです。
そしてこの結果、日本が国際復帰への道すじをつくったと言われております。

この時の大統領の素晴らしいスピーチのおかげで日本の本土を分断統治される事無く、日本が現在まで発展する事が出来たと言っても過言ではありません。

本条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカでした。


( こちらの話の全て、スリランカでは有名な話として知られております。)


日本人にはこの大切な大恩を決して忘れて欲しくありません。
そう切に感じます。
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by ninastone | 2016-05-24 21:10