【 父の存在 】

杜の都・仙台在住、
石のお医者さん・柴田日南です。






今日は夫と二人で私の父方の実家・岩手へと向かいました。


久方ぶりの御墓参りです。
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なかなか来れずにごめんね。
それにしても寒い!
さすが雪国。

いざ御線香をと思ったら車中に忘れるという珍ハプニング。
夫が取りに戻ってくれました。
( 優しい夫に感謝です )
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無事、御線香をあげご挨拶を。

また来るね、お父さん。
今年はベトナムに行ってお母さんの遺骨に会いに行きたいなと考えてるから。






さて、次に向かったのが『 鳥越観音 』。
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ここにも昔はよく来ていましたが、今は雪が積もっているので今回ばかりは断念することに。





近くに『 鳥越もみじ交遊舎 』がありましたので、ちょっと覗いてみました。
こちらでは岩手県一戸町の鳥越地区に古くから受け継がれてきた竹細工を活かしながら、地域での世代間の交流を図るとともに、この竹細工の技術の伝承と竹細工の魅力を広く伝えていくため設立されたよ空間です。


その中で目に付いたのがこちら。
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古い竹製の家具が片隅に無造作に置かれていました。


もしや…。



「 それは柴田春家さんの作品ですよ。 」
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そう説明して下さったのがたまたま以前、私が幼少期に通っていた診療所にも務めていたというこちらのご婦人。
今は鳥越もみじ交遊舎のスタッフなんだそう。

改めて私も数十年ぶりに挨拶を交わしました。
( どうりで何処かで見覚えあるお方なわけです )



どうやら2年前までは父のコーナーもあったんだとか。


私も嫁に出た立場としては何も言えたものではありませんが、父の功績が全く分からない今の形態には少し疑問が。



先駆者がいて今があるわけですから。


父は約50年前には竹細工の技術を竹の生えている国々に出向いては、長年にわたり現地で技術指導をしてましたからね。
まさに地産地消の考え方を日本政府がしていました。

ネパール、タイ、ベトナム、香港、スリランカ等。

今、輸入されている竹細工の一部の技術は日本から渡ったものと言っても過言ではありません。



複雑な事情を生み出しているのは生きている人間側の欲やプライドにあります。
内情を分かっているだけで残念な思いでいっぱいです。


末っ子だからなのか、何としてでも父の功績を残したい。
私が生きてるうちになんとかしたい課題の一つですもあります。





モヤモヤしながらもなんとか気を取り直し、次は実家へ。
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こちらでもしっかりと手を合わせて来ました。

あえて実家の姉には鳥越もみじ交遊舎に行った事を明かさずに過ごしました。
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それにしても相変わらず氷柱がぶら下がってはいましたが、例年よりは小さめな感じにも。

木製電柱を柱にしたデザインは父ならでは。
今も尚、父の感性たっぷりと残っている実家です。





次に向かったのが『 御堂観音 』。
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北上山水神を祀っているようです。
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隣りの石碑は以下の内容が書かれています。


《 岩手町と石巻市を結ぶ記念碑 》

母なる川、北上川は岩手町御堂観音、弓弭の泉を源泉とし、247キロメートルを流れ石巻の河口で太平洋に注ぐ。
川の流れの悠久を思い、自然の恵みに感謝し、北上川源泉のこの地に本碑を建立す。




『 弓弭(ゆはず)の泉 』
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《 弓弭の泉は、北上川の源流として古くから知られています。「弓弭」とは弓の先端部分のことですが、これには次のような伝説が伝えられています。

時は平安時代天喜五年(1057年)6月、この地方が「前九年の役」といわれる戦乱状態にあった時のお話です。
朝廷軍の将軍、源頼義、義家父子がこの地を平定するため軍隊を進めていましたが、炎暑が続いていたため飲み水がなく、兵馬は苦しんでおりました。そこで、天に拝し観音に念じて、源義家は、持っていた弓の「弓弭」で岩を突いたところ、清水が湧き出てきました。おかげで兵馬はのどを潤すことができ救われたという伝説です。

その後、康平5年(1062年)、義家は敵将、安倍貞任を討つことができ、その帰りに、ここに堂を建立し、自分の髪の中に入れて戦ったという小さな観音像を安置したと言われております。これが「御堂観音」の縁起となっています。

なお、義家が「弓弭の泉」を掘り当てたこの場所は、平安時代の初期、大同2年(807年)に朝廷軍の将軍、坂上田村麻呂が丈六(約4m)の立木十一観音を自らが刻んで安置して祈願所とした場所でもあると言われております。

この「弓弭」で湧き出た清水は、「弓弭の泉」として人々から崇められ、古来涸れることなく北上川に注ぎ、今なお悠久の流れとなって太平洋の大海原へとつながっています。》




まだまだ見どころは沢山あります。
次回はもう少し暖かくなってから来ようと思います。






本日も最後までお読みくださり、大変光栄に感じます!
Cám ơn nhiều!
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by ninastone | 2017-02-18 22:50