最近は
本能からの輝きを放つ方々との
新たなご縁や繋がりを多数
頂けるようになりました。
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私自身も
そう感じて頂けるような
「 石のお医者さん・柴田日南 」
で在り続けらるよう邁進していきます。
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# by ninastone | 2016-05-26 20:40

パワーストーン的には
恋愛運アップにローズクウォーツという
解釈が一般的に有名ですが。


私ははっきりと伝えます。

「 貴方に魅力が無ければ無理です。 」
と。


願掛けは願掛けでしかありません。
石はメインにはなりませんので。



というわけで、
本日はまつ毛エクステへ。
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どんな時に誰とお会いしても
ご縁頂いた方々に失礼の無いよう
磨きをかけて行きたいと思います。

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ちなみにこちらは施術前。


施術後は
お会い出来た時にでも。
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# by ninastone | 2016-05-25 22:25

今日は33年ぶりにスリランカ料理を美味しく頂きました。
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父の仕事の関係でスリランカ・モラトゥワにて半年ほど過ごした幼少期。
ちょうど80年代前半期は民族紛争が幾度となく繰り広げれた時代でもありました。

民族紛争やテロが起きると決まって日本領事館より連絡網が入り、当時通っていた日本人学校もその時には休校。
今となっては貴重な体験をしたと感じております。


さて、話は変わりますが。


皆さんは『 日本分割占領案 』という言葉を一度でも耳にされたことがあるでしょうか?

大東亜戦争敗戦後の1951年サンフランシスコ講和会議において戦勝国である連合軍( アメリカ・イギリス・ソ連・中国 )は、日本に対して厳しい賠償と制裁措置を求めました。
そして、こちらの連合軍によって作られた「日本分割占領案」により、日本は4地域に分割される予定でした。

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ソ連(赤)  :北海道/東北
アメリカ(青):関東/中部/関西/沖縄
中国(茶)  :四国
イギリス(緑):中国(地方)/九州

米英中ソ   :東京
米中     :大阪


そこに対して当時のスリランカ(セイロン)大統領・ジャヤワルダナ氏は、
「戦争に負けた日本にもう一度チャンスを与えるべき」
「憎しみは何も生み出さない」
と戦勝国に対しスピーチを行いました。

実はこのスピーチでことの全ての方向性が大きく変わったとされております。
この深い慈愛に満ち溢れた大統領のスピーチが当時日本に厳しい制裁措置を加えようとしていた諸外国代表の心を打ち、戦勝国は日本占領に対する考えを変え、日本は分割されずに済んだのです。
そしてこの結果、日本が国際復帰への道すじをつくったと言われております。

この時の大統領の素晴らしいスピーチのおかげで日本の本土を分断統治される事無く、日本が現在まで発展する事が出来たと言っても過言ではありません。

本条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカでした。


( こちらの話の全て、スリランカでは有名な話として知られております。)


日本人にはこの大切な大恩を決して忘れて欲しくありません。
そう切に感じます。
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# by ninastone | 2016-05-24 21:10

当クリニックサロンで
お越し頂いたクライアントさまが
度々睡魔に襲われてしまうという方が
実は意外と少なくはありません。


中にはしっかりと仮眠をとられた方も
多数おります。
その時にはきちんとゴザも
ご用意しております。
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Nina Stone Clinicでは
石の置き方や向きも全て計算され
生きた石たちが呼吸してる空間でもあり
何よりも
私自身が石を組む体制に入った途端に
空間も私も一気に波動が高まります。

その波動に追い付こうとするが故に
クライアントさまに睡魔が起きる、
というのが一つの考え方です。


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まるで森林浴をしてるかのような
空間づくりを常に意識しております。
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# by ninastone | 2016-05-23 22:45

18年前に書いた記事です。
懐かしかったのでこちらでもシェア致します。


〈当時の投稿記事より〉


私の母は平成五年の春風もまだ寒く感じるころに、まだ五十九歳という若さでこの世を去りました。
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二十四年前、ベトナム戦争終戦の一週間前に、サイゴンからまだ一歳になったばかりの私を背に、単独で日本へ渡来。以降、父の仕事によって東南アジアを転々としたものの、後半はずっと日本での生活を、言葉や文化の壁を乗り越えながら頑張ってきました。そんな中での母の突然の病死。やっとベトナムに帰れるというのに、倒れたのが日本を発つ二週間前。それも荷造りやチケットなどすべてそろった中での出来事でした。

とても悔しい思いをしたのを今でも鮮明に覚えています。でもそれよりももっと悔しかったのが、その後行われた葬儀です。母にはたくさんの友人と呼べる人がいたのにもかかわらず、当日は二、三人しか来てはくれませんでした。この現実に私はただただ呆然とするしかなく、人間の裏と表の顔を見せつけられた出来事でもありました。

そして二ヶ月後、そんな複雑な想いを胸に抱きながら、私は父と遺骨になってしまった母の三人で東京へ。新幹線の中、母の遺骨が入っていた木箱を膝にのせ、母の代わりに日本での最後になる景色を静かに眺めていました。父との会話は全くと言っていいほど無く、周囲の騒音だけが流れていました。

東京駅に着き、そのまま成田へ。

成田に着くと、それまでにあったいろんな出来事や思い出が、走馬灯のように駆け巡りました。昭和四十七年に初めて日本の土を踏んで二十一年、こういった形で日本を離れるなど誰が予想できたでしょうか。

とても静かなお別れでした。

すすり泣く父を背に、私はそれまで首に白い布で下げていた母の遺骨を慎重にリュックに入れ、何度も父に手を振りました。父の姿が見えなくなっても、それでも私は手を振りました。そうすることによって少しでも自分の気持ちにゆとりを持たせたかったでしょう。しかし、歩く度に母の苦労や寂しさ、悲しさが頭の中を駆け巡り始め、母の遺骨がとても重いものに思えてきたのです。

ようやく自分の座席に着き、腰を下ろしました。一人分しか座席をとっていなかったため、私は小さく手を合わせた後、リュックを自分の足元に置きました。周囲ではまだ自分の座席を探している人たちばかりで騒々しかったのです。

そして、シートベルト着用のランプが点くと同時に、スチュワーデスの皆さんが各列ごとに点検をし始めました。そして、一人のスチュワーデスが私の足元に置かれていたリュックに気づき、私にそのリュックを上の棚に置いたらどうかと尋ねてきました。
私はとっさにリュックの中身の事情を話すと、一瞬顔つきが変わったものの、笑顔でその場を去りました。そうしてしばらくすると今度は機長らしき人物と二人で現れました。正直に言うとその時私は、母の遺骨のことで何か言われるのではないかと内心思っていました。
すると機長が、
「今回は特別なお客様のために席を別のところで、二つ用意させていただきましたので、そちらの方へお移りください」
驚きました。

とても感動しました。

私のそれまでの複雑な思いが、この一言ですべて消えたのです。

移った席はちょうどスチュワーデスの座る座席の正面でしたが、嫌な顔ひとつすることもなく、むしろ丁寧に扱ってくれました。そして、サイゴン市の玄関口でもあるタンソンニャット空港に着くと、皆さんで私に励ましと温かい言葉をかけてくれました。ただ一つ心残りだったのは、その時の私は自分のことで頭がいっぱいで、きちんとしたお礼をできないままその飛行機を降りたような気がします。今思えばその時に名札の確認だけでもしておけばよかったと後悔しています。
そして、私は降りてから振り返り、ずっとその飛行機を眺め続けていました。飛行機が見えなくなるまでずっと見つめ続けました。

この一件により私は今までのことに対し、少しばかりではありましたが許せるようになったのは言うまでもありません。それまでの二ヶ月は迷いばかりでした。本当に母の遺骨をベトナムに連れていってよいものなのか、何度も父と話し合い、眠れない日々もありましたが、一気にふっ切れました。

それから三年ほど月日がたち、一つのあるニュースが私を震え立たせたのです。それは今でもまだ記憶に新しい香港の中国返還というニュースでした。焦りました。というのも、三年前、母の遺骨と共に乗ったのが香港のキャセイパシフィック航空だったからです。私はすぐに今までの自分の胸の中で温めていた感謝以上の思いを電話で伝えました。

一日でも忘れることのなかった出来事を心の支えとし、これからも一生忘れることはないでしょう。母もきっと天国で私と同じ想いでいると思います。
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あの時、あの便に乗っていたキャセイパシフィック航空の皆さん、本当にありがとうございました。
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# by ninastone | 2016-05-22 19:55

時として
直ぐに返答出来ない時もございます。


理由としては
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「王族たるものが、たとえ良いからと言ってあれもこれも直ぐに取り入れるようでは国が崩壊します。ですので考えさせて頂けたら。」

と日頃より感じ、
思っているからです。



たとえ、ベトナム王室が途絶えたとしても
命を繋いで行く限り
血筋は途絶えることはありません。


血筋を守ることも
私の大切な役割の一つなんです。
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# by ninastone | 2016-05-21 20:55

人と同じように
石もワクワクしていれば
生き生きとした反応を示します。

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写真は現段階の
私のニナストーンです。

石たち自らが
輝きを放ちてる様子が
写真から伝わりますでしょうか?


何故
そのようなことが起きるのか。


それは持ち主である
私自身が
私らしく生きているから。

そして

石たちの本来在るべき
役割りをきちんと理解した上で
石を紡いでるからこそです。
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# by ninastone | 2016-05-20 20:40

親なのだから。

我が子が
かわいいと感じられる感情を
露わにしてもいいと思います。


だからこそ
娘たちのチャレンジには
いつもいつまでも応援し続けます。
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写真は
仙台カップ( 国体予選会 )に向けて
二女、自主トレの様子をパチリとした一枚。


今年の国体は
父方の実家でもある岩手が会場となります。
二女の流れの可能性を感じながら
母としても最大限に見守りたいと思います。

二女よ、ガンバ!

一番の応援団長で在り続けます!
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# by ninastone | 2016-05-19 22:00

今日は
新宿駅構内にある成城石井で
購入した特大パンを差し入れに
ミニお食事会を開くことになりました。

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集まったのは五名。


どのような会にするか等の
決まりは特にありませんでした。


急なこととはいえ、
場所を提供して頂けることになりました
『 サロン ド シャンティ 』の寿美子さんより
「 何名に致しましょうか? 」
という問いかけに迷う事なく
「 五名でお願い致します。 」
と即答。


それも日を跨ごうとした
まさに当日深夜でのやり取りで
急に決めたにもかかわらず
この人数が自然と思い浮かびました。


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そして
おかげさまで五名
こうして集うことが出来ました!

( お越し頂いた方々には
深く感謝申し上げます。
そして今回も素晴らしいオードブルの
ご用意をして頂いた寿美子さんにも
皆さん拍手を! )



まさに世は『 流れ 』なのでは
ないのでしょうか。


必要な時に
必要な人と繋がる。

必要な時に
必要な言葉を頂く。



気付きの多い豊かな時間とは
こういうことではないのでしょうか。


キリスト教ではありませんが
こうしてパンを頂きながらの
ミニお食事会。
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次回、また
フッと思い立った時に開催致しますね。


そして
次は誰がどのような形で繋がるのか。

また思い立った時に
パンを買って参りますので。

楽しみです!
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# by ninastone | 2016-05-18 22:00

時折、
感じること。


それは
実際にお会いしたその方の印象と
SNSで発信してる感覚との違い。


そのギャップに驚かされます。


特に
あまり同一人物とは思えないものに
関しては強く感じます。

それがいいとか
悪いとかは別にして、です。


はてさて。

どちらを基準にみていいものか。



ちなみに個人的に
相手に対して魅力を感じるのは…

実際にお会いしても
SNSでの発信でも
内容が統一されてる方です。


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その方が
軸が入ってるように感じるからです。
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# by ninastone | 2016-05-17 21:25

当初の予定より一日延長した
今回の御江戸の旅。

素晴らしい方々との
新たな出会いや再会が
実現出来た貴重な旅ともなりました。
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そして一つだけ気付いたこと。


何故か写真を一枚も撮っていなかった、
ということ。

不思議なものです。

いつもならば写メを撮るのに。

全く撮らずにいる私がいました。



まぁ、そういうことも
あるものだと言い聞かせて
御江戸を後にしました。
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また来月に来ます!
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# by ninastone | 2016-05-16 23:05 | 旅日記