2018年 12月 05日
【 雷 = 出来事 】
感情はいつまでも同じ位置に留まることはありません
例えるとすれば
一年前までは許せなかったりモヤモヤしていたことも
“ 月日 ” という時間の経過によって薄らいだり
時には
“ ある出来事 ” によって別の角度からの気づきのきっかけとなって解消・解決されることも御座います
〜 中にはその感情そのものが強過ぎた場合は話しは別にあるのかなと個人的に私自身感じてもおります 〜
ただ…ここまで来ると
あとは本人の納得でしか無いのでしょうし
我慢が平気な人は我慢を選ぶでしょうね
そもそも
それも自分の性分の一つなわけですから
変わることに代われたらいいのですが
変わることに代われない自分が居続ける限りはずっと変わることも無くその感情を定位置にしたままでいるでしょう
言葉では「 変わりたい 」とは言えども、そこが台詞( セリフ )なのか言霊( コトダマ )なのかによってもスタートライン自体にも違いは歴然なわけで
例えそこに対して、どんなに自分自身で生き辛さを感じていたとしても、余程の出来事が無い限り、人はその場から離れようとはしない生き物では無いのかなと考えておりますので
余程、大きな雷が落ちない限り、状況は変わり辛いでしょうね
さて、そう考えてみると
どちらが良いのでしょうか?
自らの気づきか
それとも、雷が落ちることなのか
いや
そもそも、その雷は落ちてるという表現で合っているのだろうか?
案外その雷を落とすよう仕向けてるのは
内側の何人目かの
『 自分 』なのかもしれないわけなのだから
ならば
その雷に打たれることも
それもまた一つの納得にも繋がり
必要となるでしょうね
本日も最後までお読みくださり、大変光栄に感じます!
Cám ơn nhiều!
Cám ơn nhiều!
**** 杜の都・仙台在住 ****
整導石師( せいどうせきし )・柴田 日南
by ninastone
| 2018-12-05 17:55
| わたしの中にある道徳